
プロジェクト保津川では、京都府および亀岡市文化資料館、保津川の世界遺産登録をめざす会などとともに、保津川の筏流しの復活をめざした取り組みを進めています。
今年の筏復活プロジェクトは、9月10日(日)に実施し、保津大橋から山本浜までの約60年ぶりとなる筏流しを無事に終えることができました。ご協力いただいたみなさま、また当日会場までお越しいただいたみなさまには厚く御礼申し上げます。
また、現在、京都・錦市場「昌の蔵」にて今年の保津川筏復活プロジェクトの取り組みを紹介するパネル展示と貴重な筏の資料の展示を行っています。お買物のついでに、ぜひお越しください!(〜11月29日(土)まで開催)
- 和のギャラリー 「昌の蔵」
- 京都中京区錦小路堺町東入る
- 営業時間 11:00-18:00(火曜定休)
http://sho-no-kura.com/
今後は、本来12連の筏を復元し、嵐山までの筏流しをめざすとともに、流域に伝わる筏の文化の聞き取り調査などを進めていく予定です。
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お問い合わせなどにつきましては、保津川筏復活プロジェクト連絡協議会事務局までお問合せください。
- 保津川筏復活プロジェクト連絡協議会事務局
- 〒621-0815 亀岡市古世町中内坪1番地
- 亀岡市文化資料館内
- Tel: 0771-22-05990771-25-6128
- Fax: 0771-25-6128
筏復活プロジェクト最新情報
「保津川筏復活プロジェクト」の最新情報は、プロジェクト保津川のブログ「京都・保津川のほとりから」で順次紹介しています。
ブログにアクセスして、「保津川筏復活プロジェクト」のカテゴリをクリックしてください。
保津川の筏とは?
かつて、保津川には丹波山地で切り出された材木を、京の都へと運ぶ筏流しが盛んに行なわれていました。
保津川の筏流しは、古くは平城京の寺院建築において丹波産の材木も使われていたことから、奈良時代にすでに筏流しが行なわれていたと考えられています。そして784年(延暦3年)の長岡京遷都では、新しい都の造営に際して大量の材木が必要となったことから、保津川の筏流しは大きな役割を果たしました。さらに、794年(延暦13年)に平安京に都が移されると、保津川の筏流しは単なる材木輸送だけではなく、物資の輸送という面でもますますその重要性が高まりました。
保津川の筏流しは材木や商品の運搬によって京都の町や人々の暮らしを支えた一方で、足利尊氏による天龍寺造営、豊臣秀吉による大坂城や伏見城造営など、その時代の大事業においても大きな貢献を果たします。そのために、天正・文禄年間には、豊臣秀吉により流域の山本・保津(現亀岡市)や田原・世木(現南丹市日吉町)、宇津(現京都市右京区京北町)などの村々の人々に筏士の特権を与えて諸役を免除する朱印状が与られるなど、時の権力者からも特別な地位を与えられてきました。近世末期には、商品経済の発達に伴って輸送も飛躍的に増加し、最盛期には毎年60万本もの材木が京都に送られるようになり、筏の中継所として栄えた流域の村々は、現在の丹波の基礎を形づくりました。
しかし、保津川の筏流しは明治〜大正期の山陰本線の開通やトラック輸送の普及と共に次第に衰退し、戦後、完全に途絶えてしまいます。現在、保津川流域でご健在の元筏士は、たった3名。貴重な伝統技術とともに、筏の記憶も今まさに途絶えようとしています。
かつて保津川を下っていた筏の復元は、保津川流域の歴史、そして千年の都平安京の造営に遡ることに通じます。このイベントを通じて貴重な歴史遺産を多くの方々に実見・実感していただくことで、「筏がつなぐ歴史の記憶」をよみがえらせたいと考えています。
保津川筏復活プロジェクト連絡協議会
京都府南丹広域振興局、亀岡市文化資料館、南丹森のエコミュージアム、NPO法人プロジェクト保津川、保津川の世界遺産登録をめざす会、株式会社アオキカヌーワークス、京都学園大学歴史民俗研究会、天若湖アートプロジェクト2008実行委員会、桂川流域ネットワーク、京都大学生存基盤科学研究ユニット(京都大学東南アジア研究所)
協力
亀岡市立保津小学校、保津川遊船企業組合、保津川漁業協同組合、有限会社南丹運送、亀岡市篠町自治会、NPO法人間伐材研究所



